この記事では5人が持つ依存をテーマに、彼らの関係性とそこから見えてくるグッドエンディングについて考察しています。
「依存」と表現していますが、決してネガティブな意味に限らない事をご留意ください。またあくまでも私個人の考え方に基づいています。
依存のかたち
バジルが持つ友達への依存
人によって違うかもしれませんが、この物語で最も依存を語られるキャラクターと言えばバジルでしょうか。画像にある通り、バジルは小さな頃から両親のいない生活を送っていました。しかしサニーの記憶を見ると、バジルはとても幸せそうでした。バジルにとって友人達がどれほど大切だったか、とてもわかりやすい場面だと思います。
失うのが怖かったはずの物を失ってしまった彼は、4年を経てなお、再び友人達と過ごせる日々を望んでいました。そして唯一の家族だったお婆さんをも失ったバジルは、追い詰められてしまいました。
恐らく事件で抱えた心の闇から、バジルは友達と向き合うことも、新しい人間関係を築くこともできなかったのではないでしょうか。生まれ育った環境もあり、バジルは友人達への依存が強かったのだと思います。
依存の意味
しかしここで書く依存とは言葉通りのものです。依存「症」や執着心といったものを指すわけではありません。
依存、つまり他の何かに頼ること、別な何かの力を必要とすることです。
遠くに行く手段は車や交通機関に依存していますし、病気になれば病院に依存して生活することになります。そのための情報や連絡手段はスマートフォンなどに依存しています。つまり頼ることそのものを指すものであり、依存という言葉自体に善悪の概念を含めていません。
オーブリーを例にして考えてみるのはどうでしょうか。友人達が離れ離れになったあと、オーブリーはずっと孤独を感じていました。その時のオーブリーは誰にも頼れない状況にあったのだと思います。
この様子を誰にも頼らない自立した人間になった、と解釈する人はいないと思います。頼れる人がいない、あるいは失った状況。それは自立ではなくただの孤立だからです。
オーブリーの家はゴミが散乱し、キッチンは使用できる状態になく、庭には用途のわからない物が置かれ混沌とした様子が伺えます。しかしオーブリー自身の部屋にはゴミがなく、比較的整頓された印象があります。この家で誰がこの状況を作っているか、想像に難くありません。また大人でも直せなかった水道管の水漏れ、それを修理してみせるという場面がありました。
バジルの家には両親は居ませんが、家事とお婆さんの介護はポリーさんがしてくれています。ポリーさんはバジルの事も心配していると話しており、精神的な面でも力になろうとしてくれています。水道管の水漏れがあれば、修理業者を手配してくれることでしょう。
オーブリーはそういった本来なら大人が担うはずの役割を、彼女自身で果たしてきたのではないでしょうか。彼女はつまりヤングケアラーなのだと思います。オーブリーの父親が居なくなった日、それは彼女が普通の子供では居られなくなった日でもあったと思います。そして教会で見せていた様子から、未だ母親への愛情は失っていないようです。しかし母親はおそらく既に、愛情を求めてもそれを返せない状態にあるように思えます。この環境が辛くないわけがありません。孤独を感じないはずがありません。
そうした時彼女は友人達にそばに居てほしかったこと、頼りたい相手が居たことは明白だと思います。むしろ友人達が戻った後のオーブリーの方が、自立した人格の持ち主に見えるのではないでしょうか。
自立するということは、逆説的に依存先を持っているということではないかと思います。信じて頼れるものがあるからこそ自立しているというわけです。もちろん一方的に何かに頼って良いという意味ではありません。お互いに自主性を持って助け合う関係にあるのであれば、人間関係として健全なものです。誰もがそうしています。
バジルとオーブリーだけではありません。
全てのバラに例えられ、完璧と言われるヒロ。そしてサボテンに例えられるほど丈夫で心が強かったケル。2人であっても皆と支えあっていくという希望を持っていました。
ヒロであっても1人ではできなかったことがあります。サニーが裏庭やピアノ室に行けなかったように、そしてマリが湖に行きたがらなかったように、ヒロにも行けなくなった場所がありました。マリの墓、ヒロは4人が揃って初めてマリの墓前に立つことができました、
ヒロにとっても友人達が大切な存在なのは間違いないと思います。それはバジルともオーブリーとも変わらないことではないでしょうか。
そして人にとって依存が必要な理由がもう一つあります。誰であっても一方的な依存の可能性を持っていることです。
一方的な依存
一方的な依存というとどうしても負のイメージがあると思います。作中ではサニー以外にも、そういった過去を持つ人物がいました。
・・・ヒロです。
これはどんな人間であっても、そういった状況は起こりうるということでもあると思います。絶対にケガをしない人も巻き込まれない人も、心が弱らない人もいません。そしてそうした時、ヒロの周りにいた人達はどうしたでしょう?ヒロは1年間自暴自棄となって過ごしましたが、家族は彼を支え続けました。そしてケルとの事件をきっかけにヒロは見事に立ち直りました。
これは5人の間であっても同じ事です。彼らは家族の容態が急変し、以前から様子がおかしかったバジルを支えるために行動しました。依存という言葉にはどうしても負のイメージがあるものですが、実際には助け合う関係の意味も含んでいると思います。簡単に言えば、困ったときはお互い様というものです。むしろ頼れる先が多ければ多いほど、安定して自立しているとさえ言えるかもしれません。もしオーブリーが新しい人間関係を築けず、ヒロを支えられる家族がいなく、バジルを心配する友人達がいなければどうなったでしょう?
誰にも頼れないことは自立ではなく、孤立だと考えるべきです。
風車が示すもの
真実を告白したサニーはこれら全てを壊してしまったのでしょうか?
サニーは昔のように戻りたいというバジルの願いを知っていました。ヒロとケルの皆と支えあっていきたいという希望を理解していました。
そしてオーブリーの言葉を見れば彼女も同じ想いだったと思います。そしてサニーはオーブリーが自分に何と言っていたか、彼女の望みを聞いていたはずです。それら全てを裏切った上で、彼は最後に笑顔を見せたのでしょうか。
サニー自身も回想やラストデュエット、夢の世界、あらゆる場面で心にあったのは友人達のことでした。
サニーは友人達の夢や悩み、誰にも話せず心の内にしまっていた秘密までも知っていました。サニーが大事にしていたもの、守りたいものとは彼らのことだったと思います。彼にとって自分だけが罪悪感から逃れ、未来への展望を考えられれば済む問題ではなかったはずです。彼らの想いを壊したくはなかったはずです。
そんな彼が、笑顔の苦手だったサニーがどうして最後に笑うことができたのでしょう。
その答えは、オーブリーの風車がある最後の絵の中にあると思います。
(あんなさんよりイラストを頂きました)