この記事は
・湖のマリが話す、前にカーテンを見たときとはいつのことだったのか
・天国の門がカーテンに見えるのは何故なのか
・作中で言及される「帰り道」について
・湖のマリが伝えようとしていたことについて
主にこれらの内容についての考察となっています
サニーが初めてカーテンを見た日
湖に現れたマリはサニーは以前にあのカーテンを見た事があるはず、という話をしていました。
画像にあるオーブリーのセリフと英語版の表現から、以前にカーテンを見た時とはサニーが湖で溺れた日の事を指しているのだと思われます。その事故ではすぐさまマリによって救出されましたが、その時の臨死体験でサニーはこのカーテンを見たのではないでしょうか。
帰り道の世界と天国の門
同じ物がバジル戦後のハルバル町の北にもありました。
またハルバル町の窓の画像にもありますが、ヘッドスペースの電車やブラックスペース、現実世界での幻覚など、あらゆる場所で家や帰り道に関するメッセージがありました。
電車に現れる影は「ここは家ではない」とつぶやきながらトーストになってしまいます。
ド田舎おじさんはヘッドスペースのある場所は人によって見え方が変わると話していました。つまり死に瀕してあの世界に訪れた者、迷い人にとって帰り道がどんな光景で、帰りたい場所がどんな姿になるのかもその人次第なのではないでしょうか。サニーにとって帰りたい場所とは家であり、そこまでの帰路としてハルバル町が現れた。それならばバジル戦後に訪れる場所があの光景になるはずです。
そして帰るべき先はヘッドスペースに存在したこの場所です。意識を失い倒れたサニーの魂が帰ろうとした時、この場所はサニーの家へと姿を変えたのではないでしょうか。そして天国に繋がる門がどんな姿なのかも人によって変わり、マリとサニーにはピアノ室のカーテンに見えていたのでしょう。
つまりあの世界に訪れた者の中で、安心のできる思い出深い場所を思い出せる者はそこへと帰っていき、思い出せない者は天国の門が開き死者となる、ということを表しているのだと思われます。
実際、湖のマリはサニーが見たのは窓ではなく「カーテン」だと表現していました。
過去にサニーが見たのはカーテンだけで、バジル戦後の帰り道にあるものと同じように閉じた状態だったのではないでしょうか。臨死体験によってこの世界に訪れることはあっても、帰り道を覚えている者には閉じた姿で見えるのだとすれば、辻褄が合うと思います。
最終日の夕方にバジルの家へ向かう時、道の真ん中で迷うそぶりをみせるバジルのおばあさんが現れます。
これは恐らく帰り道の世界に訪れて道を忘れてしまっている姿。天国の門がどのような形であれ、それは開いていただろうと想像できます。
サニーの場合はニャーゴがあらわれ帰り道へと導いてくれました。窓への反応から彼自身も道を忘れているわけではなさそうです。
そして家へたどり着くとバジルに、
「戻って来れたみたいだね。」と言われます。アルバムの話をするこのバジルは現実の記憶を持っていることになります。
そしてバジルはここを離れ、おそらくは彼が帰るべき場所へと戻っていきます。
ド田舎おじさんは、ヘッドスペースのある場所は世界が生まれた時からおそらくあったろうと話していました。あの世界が死者の世界へと繋がる道でもあるのなら、そう考えてもおかしくはないはずです。
マリとカーテン
マリの話すカーテンは、マリが現れたときには開いて出現していることが多いです。
左上の画像はヒロが室内に現れると閉じてしまいます。
左下の湖のカーテンは彼女が開いてみせ、窓の向こう側へ渡っていきました。
ヘッドスペースには湖のたまり場は存在せず、現実世界でも姉弟がかつてのたまり場にに行ったのはサニーが溺れたときが最後です。
マリの言葉はそもそも夢の世界に存在していない湖のたまり場での記憶であり、あの事故の日一緒に居たことを示すものでした。そしてカーテンの意味を知り、それを通ることができる存在。
湖のマリは自分が本物であると、そう伝えようとしていたのではないでしょうか。